熊連協の44年にも亘る歴史の中で、先輩たちが育んだ奉仕の心が脈々と受け継がれ、今日に至っています。


33期 荒舩 洋さんのの趣味の散策と写真を一端ですがご紹介いたします

『賢治の足跡』
                                       一班 荒舩 洋

 宮沢賢治は,盛岡高等農林学校在学中の二十歳の時に地質調査研究のため大正五年(1916)に秩父地方を訪れています。9月2日、賢二らの一行は上野から汽車に乗り熊谷に到着した。熊谷の印象として次の歌を残している。
「熊谷の蓮生坊がたてし碑の旅はるばると泪あふれぬ」
「武蔵の国熊谷宿に蠍座(さそり座)の淡々ひかりぬ九月の二日」

 9月3日は熊谷から秩父鉄道で寄居まで行き、象が鼻、末野,波久礼と岩石を採集して再び秩父鉄道
波久礼駅から国神駅(現在はありません、地名としてはあります。多分上長瀞?)まで乗車して秩父に入りました。上長瀞の河原で(虎岩)」を見学してその美しさを詠んだのが次の歌であります。




   つくづくと粋なもやうの博多帯
              荒川ぎしの片岩のいろ

 4日、5日は小鹿野から三峰まで行き三峯神社に宿泊している。6日に下山して秩父市街に向かう。
7日以降の行程についてはよくわかっていません。賢治らが秩父を発ち、盛岡へ帰途についたのが7日なのか8日なのかはっきりしませんが、地質旅行という校外学習に参加した秩父路の旅は秩父鉄道の野上駅で終わっています、駅構内には,賢治と長瀞の貴重な出会いを後世に伝えるために歌碑が建てられています。


     盆地にも今日は別れの本野上
            駅にひかれるたうきびの穂よ

 賢治が秩父を訪れた行動記録は残ってないが親友の保坂嘉内に宛てた小鹿野で投函した葉書が貴重なものとなっています。近年、賢治の秩父巡行を推測検証する方が増え興味あるところです。
                                資料 ジオパーク講座資料より

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