現在、彩の国いきがい大学熊谷学園1年制37期校友会は74名の会員が活動しています


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ハイキングクラブ


日光街道・間々田宿から小金井宿を歩く

6月9日 第10回「間々田宿~小山宿」 10名参加

(駅前・歴史の案内板)
 今回から後半の行程に入ります。梅雨入り後の街道歩きで天候が心配でしたが、間々田駅到着時は曇り空でひと安心、駅入り口交差点からスタートです。 前回見学した乙女河岸で肥料問屋「車屋」の豪商・小川家住宅(国有形登録文化財)と車屋美術館を見学。泉龍寺境内には「川上とこの川下や月の友」と芭蕉の句碑があり、 隣には乙女不動尊があります。



(車屋美術館と小川家住宅)


(泉龍寺・芭蕉の句碑)    (乙女不動尊)

 近くには復元された乙女不動原瓦窯跡(奈良時代に瓦が焼かれていた)をまわり再度街道に戻り、次に「逢いの榎」碑へ。ここは日本橋・日光の中間(18里・約72Km)です。 一同感動でした。

(復元の乙女不動原瓦窯跡)                   (逢いの榎碑)

 徳川家光の遺骸を日光に葬送途中に一晩安置された龍昌寺、鎌倉時代の伝統を継承された「間々田ひも」店と見学。

(龍昌寺)                   (間々田ひも)


(間々田ひも店前)

 問屋場・脇本陣・本陣と遺構は無く、説明板で解説されていました。街道から約650m奥に間々田八幡宮が、東照宮修理の宮大工が社殿の再建を行ったと云う神社です。

(本陣跡説明板)                (間々田八幡宮)

 浄光院付近が間々田宿の北口。十九里目の間々田の一里塚は痕跡なく「お菓子司蛸屋」辺りか。千駄塚道標を左に入り古墳(円墳)を登ると浅間神社が鎮座、 あいにく修理中でした。街道に戻り12:30分昼食・休憩、食事処がほとんどなく、台湾料理店となる。午後最初の立ち寄りは、 近江商人で明治五年創業の蔵元西堀酒造。お土産も買いました。

(千駄塚古墳と浅間神社)            (西堀酒造)

 この先天満宮までは旧道痕跡・安房神社・長屋門・大ムクノキの切株・国道50号を通過し天満宮(小山宿の入口)。 二十里目の小山の一里塚は痕跡もなく時宝寺参道の交差点付近と云われている。時宝寺は将軍吉宗日光社参の休息所。須賀神社は京都八坂神社を勧請し小山城の鎮守とした。 ここから北へ、小山市役所敷地内に「小山評定跡史跡」碑及び由来が、又敷地の北外れに小山御殿跡の説明がそれぞれ残されております。

(須賀神社)                          (小山評定跡史跡)

 街道に戻り、本陣跡・問屋場跡・控本陣等の痕跡見つからず、 明治天皇行在所跡碑と脇本陣の建物、唐破風の玄関を確認、最後に旧商家と石蔵を利用の観光交流センター「思季彩館」に立ち寄り駅前上町交差点でゴールをし、小山駅16時05分到着でした。

(小山評定跡由来)                      (明治天皇行在所跡碑と脇本陣)

 雨には降られず、ほぼ予定時間で歩き、歩数計は各自22,000歩前後となっておりました。


7月7日 第11回「小山宿~小金井宿」  9名参加
 本年は梅雨空が長く、先月に続き雨の心配をしつつのスタートでした。小山駅前上町交差点からのスタートです。街道を北へ左側に元須賀神社の鳥居が、この辺りが小山宿の北口らしい。 道路の反対側には、日数を限り願いをすると願いが叶うという「日限地蔵尊」がある光照寺に。

(元須賀神社)        (光照寺「日限地蔵尊」)    (愛宕神社「狛犬」)

 849年創建の興法寺は小山氏代々の祈願所として徳川家光から寺領をあたえられた寺でもあります。境内には、浅草寺にあったという「十三層塔」があります。

(興法寺集合 ☝写真クリックで拡大します)               (興法寺「十三層塔」)

 向かい側には村の鎮守で市内最古の狛犬がある愛宕神社。又、創業元禄11年(1698)の御菓子司蛸屋総本店があります。更に両毛線・第一奥州踏切を渡り薬師堂へ。

(御菓子司蛸屋総本舗)             (JR両毛線踏切)

 道標を兼ねた地蔵尊には「右へ奥州海道、左へ日光海道」と刻まれ、「海道」の字が残る珍しい道標です。かっては「喜沢追分」にあった追分道標でした。 日枝神社への参道には樹齢400年以上のケヤキが3本、幹の周りを8名で繋いでみました。この辺りは中世の小山城の北の守りとしての役割も果たし神社の裏には土塁も残されていました。

(薬師堂道標)            (日枝神社大けやき)       (日枝神社)

 この先すぐに「喜沢の追分」が、壬生道との分岐点で今市を経て日光道中に合流できた。又、日枝神社裏土塁にあった男体山碑が移されています。追分の傍に開店2日目という食事処発見。 少し豪華な昼食と休憩に立ち寄る、美味しかった。

(喜沢追分の男体山碑) (昼食風景)


(喜沢の一里塚)
 午後は国道から分かれて旧街道へ。二十一里目の「喜沢の一里塚」が、両側に塚の痕跡を残していた。更に進むと東北線の脇に出る。 旧街道の一部分が線路に切り取られた部分が約770mほどありました再度合流した地点が新田宿の入口のようです。国道沿いには、旧屋号がかけられた旧家「栃木屋」や青木本陣跡の本陣門(四脚門)があります。 羽川薬師堂・橿原神社・石仏石塔群(馬頭観世音には「左おざく道」と刻まれた道標が)を見学し再度旧街道を歩きます。この辺りは住宅開発で途中通行不可の区間もあり、昔の痕跡は見られませんでした。



(旧家「栃木屋」)               (本陣門(四脚門))


(新田宿行燈)    (馬頭観世音道標)    (石仏石塔群)

 小金井駅前交差点で本日は終了です。幸運にも途中霧雨程度の雨に出合いましたが、傘もささずに予定コースを見て回れました。立ち寄り箇所も少なかったせいか皆さんの歩数計は19000~20000歩前後を記録していたようです。
 お疲れ様でした。   次回は8月4日です
                                37期 ハイキングクラブ部長