現在、彩の国いきがい大学熊谷学園1年制37期校友会は96人の会員が所属し活動しています。


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1班の活動


7月27日(水)、熊谷スポーツ文化公園での花壇ボランティア終了後、1班は太田市内3カ所での見学と食事を楽しみました。
先ずは、花ボラ作業を行った証拠写真、終了後での2班と一緒の集合写真です。


スポーツ文化公園を出発し刀水橋を渡りすぐに左折、約5分で旧尾身町の中島知久平(ちくへい)邸に到着です。駐車場・トイレも完備され、正面には立派な表門が構えております。

■太田市中島知久平邸地域交流センター 〒370-0405群馬県押切町1417 TEL0276-52-2235



中島飛行機(富士重工業の前身)の創設者・中島知久平氏が両親の為に築いた大規模邸宅だそうです。
敷地面積10,000㎡以上、昭和5年に建てられた母屋は中庭を囲んで玄関棟・客室棟・居間棟・食堂棟の4つの棟がロの字形に配置され、洋風建築を取り入れた群馬県を代表する近代和風建築です。
当時の建築費で100万円と云われ同時期、昭和6年大阪城復興天守閣の建築費が約47万円と比較しても、すごい民家が存在していたものと感服しました。


一昨日7月25日、国の「重要文化財」に認定されたばかりの邸内を太田市文化財課の担当者から説明を受け見学しました。(現在、耐震工事完了の箇所のみ見学可能です)
 

重厚な構えの玄関・車寄に圧倒され中へ、玄関広間に入り右手に2部屋の応接間が配置されています。
 

天井にはシャンデリアが、床はモザイク文様の板張りでバリアフリーとなっていました。
 



応接間の窓にはステンドグラス・特別仕様の家具やテーブル・電気ストーブの入った大理石製の暖炉・家紋の「下り藤」はいたるところに入れられていました。
 

  

中島邸から車で30分の距離で「金山城跡」へ。文明元年(1469)に新田一族の岩松家純により築城され、数々の大名の攻撃にも屈せずも、天正18年(1590)豊臣秀吉の北条征伐により金山城は廃城となりました。
標高239mの金山の自然地形を利用して作られた「山城」です。山頂には、新田一族ゆかりの新田神社が祀られておりました。
昭和18年「日本100名城」に選定され又、関東七名城としても有名です。この日、「100名城スタンプラリー」で鳥取から来たという親子に出合いました。物見台・中島記念公園からの眺望は素晴らしい眺めでした。
尚、中島知久平銅像は、金山城址山頂に設置されておりました。
 

  



最後は、お楽しみの「お昼のランチ」です。
金山城跡の裏側、10分ほどで到着でした。隠れ家的お店で有名な「金山中国茶苑」を幹事さんが予約してくれました。本日は2組のお客様で静かなランチでした。最初にお店のオーナーからジャスミンティーの飲み方のレクチャーを受け、お料理が順次並び、材料や味付けの意見でワイワイガヤガヤ楽しい食事会となりました。
最後は皆さん満腹となり心も体も満足な一日を過ごすことができました。
 



                       (記)石島  (追記)池田

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